静岡県浜松市浜北区根堅祭典

根堅祭典について

根堅の祭典は、根堅地区総鎮守神様(岩水寺)の『地安坊大権現』と根堅地区氏神様(山住神社)の『山王大権現』の祭典です。
これは、「神仏混合」の祭典という全国でも類を見ない『奇祭』といわれております。
更に、岩水寺と山住神社より、祭典の運営を全面的に委託された『本団』と、その傘下である各社『若連』が、町内会とは切り離された独立した組織で運営しています。この組織体制も、近隣にも類を見ません。
また、御神輿の渡り儀を祭典、屋台引き廻しを余興と位置づけし、御神輿を本団が担当し、屋台を若連が担当しています。

神事

fe_singi01俗に言う「御渡りの儀」が執り行われます。
祭典初日の午後、岩水寺駐車場に4台の屋台が集まります。
定刻になると、本団総務(祭典総責任者)の当番社屋台が地安坊大権現の御神体の入った地安坊大権現御神輿を地安坊堂境内内の太鼓橋まで御迎えに行きます。
その後、地安坊大権現御神輿は迎えに来た屋台と岩水寺駐車場に待機している屋台を従え、大天狗に導かれ岩水寺山門より南に向かい出発します。


fe_singi02途中、山住神社に立ち寄り、地安坊大権現御神輿は、山王大権現の御神体の入った山王大権現御神輿と合流し、大門通りの天竜浜名湖線の踏み切り北にある『御旅所』といわれる御社まで向かい、御神輿はここで一泊します。
次の日、午後3時頃4台の各社屋台が御旅所まで御神輿を迎えに来たのち、岩水寺の読経と山住神社による祝詞が行われ、御神輿は大天狗に導かれ帰路につきます。途中、山住神社に立ち寄り、山王大権現御神輿から御神体を抜いて、地安坊大権現御神輿は各社屋台を従え、太鼓橋へと戻ります。
この頃、祭典も最高潮となり、祭典の一番の見所になります。

祭典の歴史

祭典の始まりは、江戸中期とも末期とも言われていますが、定かではありません。
岩水寺の冷気から見ても、それ以前より行われていたと思われます。
江戸時代、大門(赤佐7区)、接待(赤佐6区)、泉(赤佐8区北部)、相野(赤佐8区南部)で神輿と荷車屋台で行われていた祭りに、廃仏以降の明治時代に、う組(雲岩寺組)が加わり、屋台は2台になりました。
明治末期に、接待が屋台を作り、3台になりました。
その後、大門が、三河三谷(蒲郡)より先代屋台を譲り受け、大正11年に三星社(泉、相野)が屋台を造り、現在の4台となりました。
そのころ、現在の祭典の形になったといわれます。

御神輿

御神輿は、地安坊大権現の御神体を納める「大御神輿」と、山王大権現の御神体を納める「小御神輿」があります。
現在の地安坊大権現御神輿は、平成20年の御神輿改修工事により江戸時代に創られたという事がわかりました。山王大権現御神輿は、明治維新の頃に造られました。

地安坊大権現

祭られている神様は、天長年間(824~834)の遠州大飢餓を救ったといわれる、東大寺中興(幹部)で、東大寺荘園の再興に尽力した僧侶「塔頭覚仁大僧正」です。
苦難防除、子孫長久の御利益があり、変わったところでは、「けんかの神様」で、けんかをする前に願をかけると必ず勝つとされていたそうです。
その為か、太平洋戦争に出兵する村男たちは「苦難を避け戦争に勝てる」ということで、我先にと御神輿を担いだそうです。
その他に、厄年の若連(24歳)が、厄落としの為に担ぎたがったようです。

山王大権現

山住神社には、「大山咋命(おおやまくいのみこと)」と、「豊玉彦命(とよたまひこのみこと)」の神が祀られ、『山王大権現』と称されています。
「大山咋命」は、別名「大山積神(おおやまずみのかみ)」といい、古くより山犬信仰が浸透していた奥三河一帯には、山犬は、農作物を荒らす猪や鹿を退治する益獣であり、焼畑の作物の守り神であるとされていたようです。
その山犬様が、大山積神という神で、イザナギとイザナミとの間に生まれ、大宮山王大権現とも呼ばれます。
山の神でありながら、渡しの神でもある為、交通の守り神としても有名です。
※風土記によると、仁徳天皇の時代に(700年頃)大阪府高槻市三島に出現した神ともされています。
「豊玉彦命」は、豊玉姫命(とよたまひめ)のことで、大山積神の孫にあたり、海幸彦・山幸彦伝説(ウミヒコヤマヒコ)の山幸彦と結婚し、初代天皇の「神武天皇」をもうけたと古事記に記されています。

組織

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役員

  • 本団
    • 総務・・・・根堅祭典の総責任者で、絶対の存在
    • 副総務・・・屋台運行の総責任者
    • 本団会計・・本団運営費の管理
    • 年番長・・・御神輿運行の総責任者
  • 若連
    • 余興取締・・各社屋台の運行任者
    • 余興副取締・お囃子、手踊り、屋台運行管理
    • 会計・・・・若連運営費管理

屋台

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大門 東組 う組 三星社

応対

根堅祭典には、独自の風習として、屋台を運行する上で、『応対』といわれる作法があります。
これは、他の町内に屋台を入れる際、迎える側の町内の余興取締の挨拶後、手打ち式(三本締め)によって屋台をいれられることになっています。
更に、この「応対」は屋台の解散式にも用いられ、最終日の大門四つ角の解散式の時の各社若連合同による「練り」は盛大に盛り上がり、この祭典の最後の見せ場となっています。
見やすい場所に陣取り、その時が来るのを待っている方も少なくありません。

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日程

以前は、当たり日の8/23,34に行われていましたが、現在は当たり日直前の土、日曜日に行われています。